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陰陽の陰を使って大きくなるとき:二元性の超越へ

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昨晩、2つの記事、アシュタールの真実5:スピリチュアル・ビジネスからの脱却と、アシュタール・ビジネスをアシュターはどう見ているのかを投稿し終えてから朝を迎えるまでに、ふたたび大きなシフトアップを体験しました。

そもそも今回、録音を編集して記事を書き、公開するまで、私にはとても強い心理的バリアがありました。

「このような暴露を行うなんて、人を傷つけることにはならないか」という自分への不信感と罪悪感。

「愛と光の存在ならば、二元性に基づいてジャッジするような行為は慎むべきではないか」という「~~ねばならない」の縛りと、自分へのジャッジメント。

録音をシェアするにあたっては、もちろん何度も何度も創造主やアシュターに確認しています。その上で、自分の心理的葛藤を乗り越えてアップしています。

それでもなお、夜、ベッドに入ってからもすっきりせず、「これで良かったのだろうか」と、瞑想しながらじっちゃんに問いかけていました。

すると、ビジョンがやってきました。

創造主の御前に膝まづいて手を組み、祈っている私がいます。白いドレスに白いマントを羽織り、天使の格好をしています。「正しい道をお示し下さい」、そんな感じのことを祈っています。

突然、そこにもう1人の私が現れました。まったく同じ格好をしています。ところが、色が違うのです。そちらの私は全身真っ黒。黒いドレスに黒いマント。サテンのように艶のあるきれいな黒です。白と黒、対照的な2人です。

その2人がお互いの方を向くと、しっかりと抱きしめ合ったのです! そして、1つに融合してしまった!

びっくりしました。いったい、このビジョンは何を意味しているのでしょう?

そのうちにじわじわと、喜びというか解放感がこみ上げてきました。

「やった! 飛び越えた! 大きな溝を飛び越えた!」、それがわかったからです。

今回の録音をシェアしたことで、陰陽の陰、自分の中の陰をやっと統合できた! そんな感じがありました。

あのような暴露によって人を傷つけることは、私にとっては良くないこと、悪いこと、闇と思える行為でした。そのようにジャッジしていました。

ですから、それに対して、光の側の私が激しく抵抗していました。だから、苦しかったのです。だから、載せるべきかどうか、ずっと迷っていたのです。

しかし、ついに昨日、「これはどうしても必要なこと、私のような立ち場の者でなければできないことだ」という確信がやってきたので、光の側の私が折れて、自分の中の闇を選び、自分にとっては闇と思える行為を敢えて行いました。

ところが、その結果、何が起きたか。その行為は何を意味していたのか。

私は、自分の中の闇を受け容れたんですね。

自分の中にも闇が存在することを、はっきりと認めたのです。「自分は光だけでできているのではない」ことを、自分で自分に認めさせたのです。

同時に、他人に対しても闇である自分を見せることで、私は、”他人の思惑を気にする”という壁をも乗り越えたのです。

その両方を通じて、”在りのまま”の自分でいることに、私は一歩近づいたのです。そのお陰で、私は今朝からとても楽になったのです。解放された気分になったのです。

「私は絶対に”光のみの存在”でいなければならない。常にそのように努力していなければならない」、そんな縛りを自分にかけていたので、私は苦しかった。

しかし、私という存在が大きくなるときには、光の側も大きくなるけれど、闇の側も大きくなります。つまり、大きな光と大きな闇、両方を抱えることになるのです。

だから、要は、使い方なのです。闇も私の力になるのです。

いや、光と闇という分け方は善悪をイメージさせるので、もはや何か合わないように感じます。

単なるプラスとマイナスで良いのではないでしょうか。光はプラス、出ていく側、与える側で、闇はマイナス、引き込む側、引き入れる側で良いのではないでしょうか。

与える力だけでなく、時には、引き入れる力も使えるようになることで、私たちはさらに大きな存在へと成長します。

昨日、私はマイナスの力を使った、マイナスの力を初めて意識的に使えたことで、これまで越えられなかった大きな溝をついにジャンプして越えたのではないか、そんな気がしてなりません。

大きな溝とはつまり、本当の二元性の統合です。二元性の超越です。

光が良いもので闇が悪いものとするのはジャッジメントで、それは、私たちの意識を縛り、進化を遮る壁となります。

そうではなくて、私たちの中には単なるプラスの力とマイナスの力があるだけで、時と場合に応じて2つを使い分けていけば良い、そんな風に考え方を変えると楽になります。

このことに気付くことが、私にとって、Heel(悪役)の学びの本質だったのではないかしら。

まだ自分の中で新しい概念として完全に固まってはいないので、正しく説明できているかどうかわからないのですが。

でも、今日から、私はさらに自由になった、楽になった、視野が広がった、そして、一回り大きくなった感じでウキウキしているのは事実です。

2019-8-22のメッセージで、アシュターが私に言ったこと、

「あなたがすべてのブレーキを取り去って、アクセル全開で、ぶわっと羽根をひろげてはばたく。そうすると、ものすごくたくさんの人がそれに気付く。実際に目にするとか、ネットで知るとかということ以上に、そのことがすごくたくさんの人に影響を与える。」

「見本を見せてあげないと。あなたがそれをやれば、後に続く人たちが次から次へと。だから、それをやって下さい。」

「貴女がそれを信じてやって見せることで、たくさんの人たちが変わるんですよ。」

「宣言しましたよね。世界中が敵に回っても私は自分を信じるって。それを体現していく。それ、できるんですよ。忘れてるでしょ。できるんですよ、貴女は。」

これを思い出して、自分を振り返っています。私は、この通りにやれているのでしょうか?

それでも、この中の1つ、”世界中が敵に回っても私は自分を信じる”、”それを体現していく”、これは、図らずも今回、皆さんにお見せすることができたかもしれませんね。(^_^)

銀河連合のアテナの石板からダウンロードした”あからさまに書きたくなる”情報、”この時期に書いておかなければならない情報のアセット”をほぼ書き終えた感がある今、”自由”というメッセージがやってきます。

今朝引いたアセンデッドマスターのカードはわかりやす過ぎです。(^_^)

Freedom, Yes ! って、私、ますます、自由になっていくのかしら。(^_^)

アセンションの門を目指す者には全員、いつか「世界中が敵に回っても私は自分を信じる、それを体現していく」ことをしなければならない日がやってきます。

信じるのは、外側の何かではありません。自分自身です。

アセンションは、個人、1人1人の問題です。これまでにあなたがどんな会社やグループ、組織に所属していようと、誰と行動を共にしていようと、誰のサイトを好んで見ていようと、誰の個人セッションの内容を信じていようと、あなたのアセンションにはそれらは関係ない。

頼れるのは、自分1人。

そして、自分を導いていく自分の識別力のみです。

 

 

 

narudeko: