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最後のブロック解放? 自己否定と優越感の狭間で

Nature concept. 3D render.

”卒業”に関する話が続きます。

ちょっと深い話をします。

これまで、私は、私のアセンションに向けてアシュタールさんと様々なワークをしてきました。

自分の中を見て、、

自分の中の古い信念体系や制限思考を手放す。

不安や恐怖を浄化する。

自分自身が持つ闇を認める。

自分を赦す。

自分の中の二元性を超える。

”無条件の愛”に気付く。

”無条件の愛”を実践する。

一つ一つ宿題を出され、自分なりに答えを出して、先へ進んできたわけですが。

自分自身として、「きっと、これが最後のブロックになるだろう」と感じていたことがあります。

それが、ついにやってきました。

アシュタール通信No.22-1の中のセクメト・チャレンジ、「あなたの代わりはいくらでもいる」という、セクメトが振り降ろす言葉の刃です。

それは、私がいつも言ってきた「いろんなものを手放して、波動を上げてきて、、それで最後に残るブロックはおそらく”嫉妬”ですよ」、それと関係があります。

”嫉妬”と聞いてすぐに思い浮かぶのは、恋人を誰かが奪いに来る状況でしょう。

その根底には独占欲や執着があります。

恋人を、人ではなく自分のやっていること、例えば誇りをもって行っている仕事とかに置き換えれば、「あなたの代わりはいくらでもいる」と言われたときの不快感が説明できます。

さらにそこには、嫉妬という他者へ向けた感情だけではなく、自分が自分に持っていた誇りとか信頼、いわば自己愛の喪失の危機も生まれるわけです。

「私は何処にでもいる一人なんだ。私がやっていることは誰にでもできることなんだ。私は取り替え可能なパーツなんだ」というがっかり感・自己否定。

「いやいや、私は特別よ。私と同じことができる人なんていない」という優越感。

どちらも、不健全なエゴです。

両方の間でゆれ動きます。

私は長い間、「もし、私以上に能力にも機会にも恵まれてすばらしい仕事ができる人が現れたら、私はどう感じるんだろうか」、そんなことを思ってきました。

いろいろな英雄伝説を見ても、ヒーローが運命を狂わせてゆくときって、自分の大切なものが奪われそうになったとき、身近に自分の立場を脅かす者が現れたときが多いですよね。オセロにしてもアーサー王にしても。

ですから、私も、「私自身に”嫉妬”はどれくらい残っているんだろう、次元上昇の妨げになるくらい残っているのだろうか」と気にしながら、これまでやって来ました。

でも、、今回のセクメト・チャレンジで、「あなたの代わりはいくらでもいる」と言われたときに、、自分が見えた気がしました。

そこには、悔しく思う嫉妬も、「だから自分はちっぽけな者なんだ」と思う自己否定感も、「いやいや私は違う、私は特別だ」と思う優越感も、、どれも無かったんです。

それが、嬉しかったんです。

私以上に良い仕事をしてくれる人がいるのなら、「ああ、地球と人類のために良かったな」と思える。

かつ、重要だったことは、だからと言ってそこで、「自分は、ただの取り替え可能な1パーツだもの」と、自分を卑下する気持ちもなかった。

「全体を構成する1つのパーツであるのは確かだけれど、自分自身を、取り替え可能な存在だとは思わない。似たようなことのできる人はたくさんいるけれど、私とまったく同じことができる人はいない。」

それが、確信だったんです。

何故なら、誰もがそういう独自性で成り立っている、一つの美しい絵をみんなで構成しているけれど、部分部分を取ったら、全然違う固有の模様で織りなされている世界だから。

じっちゃんの宇宙はそういうものだから。

そのように思えたのです。

私は特別では無いけれど、ユニークである。誰もが特別ではないけれど、ユニークである。

そこには、優越感も自己否定もなくて、素直に、個が集まって形作られる大きなワンネスの世界観があるだけだったんです。

そして、私は、自分のユニークさをどこまでも輝かせたかった。そのために、自分で今世決めてきたブループリント、ミッションを一生懸命やってきたのです。独占欲でも、執着でもなくて。

そして素直に、他のライトワ―カーたちの仕事を「凄いな~」と思って、感心して見てきました。

それで良かったのです。

ミッションという観点から見れば、私がいなくても似たようなことをする人が補い合って、全体のミッションは進むでしょう。

でも、その事実は、私から見た私のミッション、私の存在理由、私のユニークさ、私のブループリントを損なうものではないんですね。

という感じで、、

私に不快感はなかった。淡々と受け止めました。

ですから、正直に言って、私は、今回のセクメト・チャレンジを体験して、「ああ、自分は乗り越えたな」と、自分で自分を誇りに思いました。

一番手強いだろうと思っていた”嫉妬”、自己否定と優越感のバランス、それに私なりの正解を出せた気がして。

「あ、このこともあったから、その後のセッションで、じっちゃんは”なるでこさんは卒業じゃよ”と言ってくれたのかな」とも、思いました。

ふふふ、、伝わったでしょうか。

少しでも、、、参考にしていただけたら幸いです。(^^ )

 

 

narudeko: