息子が、4月7日に引越して一人暮らしを始めてから、ちょうど1週間が経ちました。
先週は途中で18歳の誕生日を迎え、家族3人でレストランに行ってお祝いをしました。そして、今日の日曜日は、東京出張中のバディは居なかったけれど、私と息子二人で、引越先で足りないものの買い物に出かけて一日過ごしました。
昼はイタリアンのお店でランチをしたのですが、何と夕食は、息子が「僕が作るから食べていけばいいよ」と、新居に私を招いてくれたではありませんか。
(出来上がるのを待っている間、私はiPadで仕事。お花は、生きているレインボーのカーネーション!)
(ハヤシライスとバンバンジー。彼一人で作りました。きゅうりの切り方が変ですね。(^^ ))
3月のあの険悪なムードは何だったのでしょう。(..;) 今はもう、信じられないくらい穏やかで楽しい時の流れで。
以前のやさしい彼が蘇り、再びかつてのような仲良しの母子に戻りました。
よくわかりましたよ。
適切な距離感って、親子の間でも大事なんですね。
お互いに、相手を一個の自由な独立した人間として認めたことで、私たちの間に張り詰めていた空気が変わったのです。「自分の自由を脅かされない」という保証が得られたとき、人は相手に対して警戒を解き、ハートをオープンにして振る舞えるものなんですね。
胸襟を開いて語り合ってみれば、息子はもう大人でした。確かに、AAマイケルが言っていたように、私から「母としての顔が消えていけば」、私たちは2個の独立した光、本来のチームメイトに戻るのでしょう。
誕生日のお祝いの席では、バディと息子が、最新のテクノロジー関係の話で盛り上がっていました。私は横で笑いながら、ただそれを聞いていました。だって、よくわからんかった、のだもの。ハハハ (..;) いつのまに、息子もそんなにITの知識を増やしたの?!(^^ ) ただ、彼が堂々と、対等に、そして仲良く父親と会話をしていることが、私にはとても嬉しかったんです。成長したなあ、、って。本嫌いで私を心配させたあの子が、もう父と同じ本をどんどん読んでいる。
(私がプレゼントしたのは、コーチャンそっくりのカゴに入ったお花の鉢。)
そして、今日のことです。
二人でランチを食べながら、私は息子に、彼の”付き合い”関係のことを恐る恐る尋ねてみました。最近、気になっていたことがあったので。息子のラインの待ち受けが、とある女の子の写真に変わったのです。だから、「あの写真、彼女なの?」と。
彼の答えは、「ま、そんなとこかな。待ち受けにしてって、向こうが言うからさ」というものでした。
おお。。ここまで確固とした答えを聞いたのは初めてです。
その話をきっかけに何気なく始まった会話が、驚愕でした。
「俺ってさ、、モテ男なんだよ」という話。
息子は別に自慢している風ではありません。ただ淡々と、ありのままを説明してくれたのです。
彼は格別ハンサムなわけではありませんが、誰からも好かれる性格なのは知っていたし、毎年数多く、特に去年のバレンタインデーには、学校の女の子たちから合計20本の赤い薔薇をもらって帰ってきたので、かなりモテているのだろうなあとはわかっていましたが、、、実態を聞いてみてびっくり。
「小学校の頃からこれまでに付き合った子は6、7人いるかなあ、でも、みんな、告られて始まったんだよ」と。
「告られただけなら、15,6人はいるかなあ」と。「僕から告ったことは一度もないよ」。
付き合うと言っても、私が気付かなかったくらいですから!(゚o゚;、休みの日にちょこっと二人で遊びに行くくらいの、ごく軽い、友だちの延長のような関係のようです。
それでも、放射能を避けて小学4年生のときに疎開した先の長野でも、そして、中2で留学した先のニュージーランドでも、すぐに彼女ができたというから、もう本当にびっくりです。
ニュージーランドの彼女は「金髪のきれいな子だったよ」と。彼女は、学校のラクロスチームの選手だったそうですが、息子がバスケや野球、バドミントン等の球技で活躍しているのを見て、彼のことを知ったのだとか。とても積極的な子で、息子が入っている男子寮にこっそり来て(禁じられているのに)中に入り、息子の部屋に手紙を置いていったのだそうです。そこから、始まったのだとか。
そんなことがあったんだ。。。知らなかったです。(..;) (ニュージーランドでは暗い思い出ばかりと思っていたけど、違ってたのね。デートもしてたのね。。)
ただ、どの子との関係も、向こうから来て始まって彼の方の気持ちが入っていないので、長続きはせず(長続きさせず?)、「それでも、相手を言葉でフるのは嫌だからさあ、とにかくうやむやにして自然消滅させてきた」のだそうです。
「だけど、次々に来るから、彼女が居なかった時期って、これまでで一週間くらいしかないよ」って。
なにもの~?? この子~?? いや、この男~~?? ハハハ
自分の中には深い闇を抱えて、悪夢で寝られない日々が続いていたにもかかわらず、彼の光は十分周囲に明るく届いていたんですね。
そんな一見、お気楽な状況を、彼は続けてきたわけですが。
ところが、です。
待ち受けに写真を載せた女の子については、「ついに、一人と真面目に付き合ってみることに決めたんだ」と。
「(お互いの信頼関係や支え合う関係の面で)今回は、何処まで行けるかやってみることにした」と。
おお、、本気になったのですか。
いや、よくよく聞くと、その子に決めた、という理由がまた~彼らしいのです。
その女の子は、いわゆる親からネグレクトされた子なのです。同じ学校の下級生だったらしいですが、離婚した両親のどちらからもきちんと面倒を見てもらえず、行き場を無くし、学費も払ってもらえなくなり、学校を中退したのだそうです。それでも、今は何とか通信制の高校に入り直し、将来の夢を持ち始めたのだとか。将来は「メイクアップアーティスト」、「スタイリスト」になりたいと言って、その道の勉強も同時に始めているのだそうです。
その子を「応援したい」「支えてあげたい」「やり遂げるまで見守ってあげたい」と思ったんだよ、というのが、息子がついにその子を選んだ理由なのだそうです。
私が、「え? じゃあ、もし、その子が普通に学校に通える家庭の子だったら、その子を選ばなかったの?」と聞いたら、「そうだね」と、あっさり。
あああ、、何という。。。彼は、こういう子なのです。優し過ぎる。
しかし、ただの同情かというと、そうではない。彼は彼なりに、がんばるその子が好きになり、支えてあげたいと思うようになった。不運を跳ね返してがんばろうとしているその子だから、好きになったらしく。
彼は本当に優しいのですが、かといって、流されて決めているわけではない。状況をよく知っていて、自分の気持ちにも正直に、自分らしい考え方もしっかり保った上で、その道を自由意志で選んだのです。
今日、この話の後、さらに彼とのオープンな会話は続き、彼が学校でどのように過ごしているかも、次第に明らかになっていきました。
今の学校(インターナショナルスクールですが)を、この冬あんなに嫌がって、「行きたくない」と不登校気味になったので、彼にとって、学校はどんなに不愉快な場所なのだろうと案じていたら。
彼は、ずいぶんと信頼されているではありませんか、先生たちから。そして、とても人気があるではありませんか、生徒たちから。
学校では、音楽やビジュアル関係のイベントはすべて彼がバックステージ担当。音楽の選定から、流すのから、DJから、動画の制作から、編集から、そして最終的にそれを発表するまで、すべて、彼に役が廻ってきます。先生たちは彼に頼り切っている。そういえば、宿題と重なるときには、連日、徹夜してましたっけ。パソコンの前で。
スチューデントカウンシル(生徒会)で何かの発表や説明をするときも、彼がマイクを持ってプレゼン担当。PTAの間でも、彼は有名人です。
クリスマスキャロルの合唱隊で街へ出るときには、彼だけに秘かにピンマイクが付けられます。歌が上手いので、リード担当。学校のミュージカルクラスでも毎年、舞台に立つよう誘われるのですが、彼は裏方が好きなのでいつも断っているんですね。
そういえば、以前、私とバディも実際にある先生から言われたことがありました。「彼は声がいいし、プレゼンも上手い。NHKのアナウンサーに向いてますよ」と。(何じゃそりゃ(^^ ))
学校に日本人の訪問客があるときには、彼が必ず通訳として校長室に呼ばれます。彼は日本語と英語、両方がきれいに使えるので。
そして、バイオリンが少し弾けるので、先生たちとのアンサンブルに強制参加させられ。
そして何より、バディの遺伝なのでしょう、彼は運動神経がとても良い。特に球技は抜群に上手い。
仕切り上手でリーダーシップがあり、かつ誰にでも優しく。インターは縦割りなのですが、小さい子どもたちからも大人気。
「今、困っているのは、グレード7(中1です)の女の子にマジに告られちゃったこと。子どもだからねえ、何て言って断ったらいいか、本当に困る」と。
今回、息子が一人暮らしを始めたと知ると、近所に住む先生や、友だち(学年を超えて)のお母さんたちからは、「いつでも夕ご飯を食べに来て」と誘われているのだそうです。
そういえば、友だちとスキーや遠方に遊びに行くときには、私が車を出さなくても、常に自動的に誰かの親御さんが息子を迎えに来てくれていましたっけ。
とにかく、学校で一番目立つポジションにいる生徒らしいのです。多くの生徒たちと仲が良いし、のみならず、その親御さんたちとも仲が良い。
(そういえば、先日の息子の誕生日には、野球の岩隈さんからも「おめでとう」のメッセージをもらった、と言ってました。今は巨人に在籍していますが、岩隈さんは楽天にいらしたので、仙台との縁が深く、つい最近までお子さんたちは息子と同じインターで学んでいたんですね。そのため、息子は岩隈さんと直接知り合いなのです。(..;) そういえば、って、今から思い出すことが多いなあ。)
かといって、彼自身は、それをそんなに特別なことだとも思っていないらしく。学校で自分がどんな存在なのか、みんなが彼にどういう対応をしているのかを、私たちに話してくれたことはほとんどありませんでした。
そこで、私が、「そんなに顔が売れてるのだったら、来年、生徒会長になってって、みんなに言われてるんじゃないの?」と聞いてみたら。
彼の答えは、「もちろん、そうだよ。でもね、同じ学年の、猛勉している韓国人の女の子が「私が絶対、生徒会長やる」って、今から言ってるんだよ。僕は戦いたくないからね、仲間が割れるのも嫌だし。どうせ、始まれば実際は僕がやることになるんだから、僕の役は何でもいいんだよ」と。(T.T) (この話を聞いて、バディは「立派なやつだなあ」と、我が息子に感心しきりでした。。)
とはいえ、今の彼は、スピリチュアルには興味ゼロ!
バディが貸す本は読んでも、私が貸す本は読みません。
今の彼の頭の中は「いかにお金を稼ぐか」、そればっかりです。金、金、金です。(^^ )
すでに個人事業主になっていて、自分のビジネスサイトも持っていますが、できるだけ早く本格的なスタートアップ、事業を興して、いずれ大金持ちになりたいのだそうです。もちろん、世の中の役に立つ仕事をしながら、ということですが。
最終的には、「4000億円くらい資産を持って、ママたちに毎年10億円あげるよ」と。(ありがとう←アシュタールさんより。(^^ ))
そして、「60歳になったら引退してアメリカに住み、NBAのオーナーになるんだ」と。彼はバスケ、NBAの大ファンなのです。
今は、お金をこの手で稼ぎたい、で頭がいっぱい。じっちゃんは「彼の年ではそれでいいんじゃよ」とおっしゃるので、私も、そんなものかなあと思って、黙って聞いてますが。(..;)
とにかく、、、うちの息子は、こういう子なのです。
変わってますよね?
いや、もしかしたら、私の話、ものすごく自慢になってますか? なってますね。(..;)
でも、私は、自慢したいというよりも、こんな子どもだったことを私たち親が知らなかった、そのショックの方が大きくて。もちろん、嬉しいショックですが。
「人間関係は上手くやっていける子だろうなあ」とは思っていたけれど、これほど人望のある子に育っていたとは、思いもよりませんでした。
ああ、そうか、だから、じっちゃんは「彼は大丈夫だ」と、言い続けていらしたのかしら。
まあ、よく考えてみれば、彼にはマイケルのエネルギーが入っているし、アシュタールさんの息子にもあたるわけだし、肉身の父のバディ自体もモテ男だったし、、息子もモテ男の血筋と言えなくもありません。(^^ )
ハハハ、知らぬは私ばかりなり、ですね。
そんなこんなで、
「息子を独立させた途端、こんなにもリアリティが変わってしまいましたよ!」
というお話でした。。
そう、そこをお伝えしたかったんです。この長~いおしゃべりは。
3月に私が見ていた(私がそうであろうと想像していた)息子自身、息子の世界、彼と私の関係と、今の私に見える息子と彼の世界、彼と私の関係は、こんなにも違うのです。違って見えるのです。
まるでタイムラインが違ってしまったかのようでしょ。
勇気をふるって、頑固な一つの信念体系を手放したことが、こんなにも大きなリアリティ(の見え方)の違いを生んだ。
その気付きを、皆さんにもシェアしたかったわけです。
でもまあ、自慢に聞こえてたら(聞こえますよね)、誠にごめんなさい、です。(_ _)