以下は、動画のテキストです。
~~~~~~~~~~
もう数週間になりますが、うちのバディは感染症の専門家として呼ばれて、厚労省に詰めっきりです。
クラスター対策班に入って、30人程の仲間たちと一緒に、日々、新型コロナウイルス感染症の拡大防止のために奮闘しています。
彼らがどのような作業をしているかというと、一言で言えば、”飛び火消し”です。
クラスタ-(感染者の塊)が生じたら、何処から(誰から)その集団にウイルスが持ち込まれたのか、その侵入ルートを調べて元を絶つのと、クラスターに含まれる人々がその後どこに行ったか、どのような行動をしたのか、1人1人の足取りを丹念に追っていくのです。その人たちが行った先でまたクラスターを発生させる可能性があるからです。
そして、新たなクラスターの発生が予測できる場所、集団を見つけては、封じ込めるために必要なあらゆる対策をその地の自治体に提案するのです。
その作業を彼らはクラスター潰しと呼んでいますが、それを日本全国にまたがって、日夜、地道に続けています。そして、そのお陰で、今はまだ何とか第二次、第三次のクラスターで収めることができています。それが、日々発見される感染者数の抑制につながっています。
まだ、今は何とか、最初の発火点(どれも、海外からの持ちこみですよね)が追えるケースが多いのですが。追えないケースが増えてきたら、つまり人から人への感染が発見されないまま何段階も過ぎてしまったら、何処にクラスターができているのかが把握できなくなってしまいます。そして、それがあるとき同時多発で見つかってきたら、それが感染爆発になるわけです。
昨日の日本での初感染者数は36名で、一昨日の56名からは減少しました。まだ、何とか踏みとどまれていますが、毎日、関係者たちは、薄氷を踏むような思いで見ていることでしょう。
しかし、先行きはかなり怪しいです。
何故なら、日本国内でこのように必死にクラスター潰しをしていても、次々に海外から持ち込まれるからです。
日本は今、中国、韓国から入国制限していますが、問題は、現在、ヨーロッパに移動しています。ヨーロッパで感染者が急増中で、アメリカ始め、ヨーロッパからの入国を制限する国が増えています。しかし、日本政府はまだ何の措置もしていません。そんな中で、日本でも、ヨーロッパ帰りの人からウイルスが見つかる例が報告されるようになってきましたね。
そこを、クラスター対策班はかなり憂慮しています。
ところで、、
では、このような状況で、私たちはどう行動したら良いのでしょうか。
またまたずっと考えていて(考えることが多すぎる(..;))、「あ、、ここで、”民度”が問われるんだ」と気が付きました。
民度、自分のエゴを抑えて、他人のために、全体のために行動できるか、ということです。
今の状況で言うなら、1人1人が、「自分は、”クラスターの核(ウイルスの持ちこみ者)にならないぞ」という強い決意をもって、それにふさわしい行動を取っていくことができるか。
例えば、海外から帰ってくる人はまさしくそれに当てはまるのですが、「自分が不顕性感染をしていたら(無症状でもウイルスを排出していたら)」と仮定して、他の人に感染させるような行動は極力控えることなのです。
帰国して2週間はなるべく自宅待機をするとか、(自分がハイリスク群でない限り)医療機関には行かないとか、やむを得ず人混みに出かける場合には必ずマスクをし、公共のものにはなるべく触らないとか。
海外帰りではなくても、私たちだって、用もなく3条件の場所、(1)換気の悪い密閉空間、(2)多くの人が密集、(3)近距離での会話や発声 へ、極力行かないことはできますよね。
「他人のために、全体のために、どれだけ規律を守って行動できるか、自分のエゴを抑えて行動できるか」というところが、今後の分かれ道になるかもしれません。結局は、他人のため=自分のためになるのですが、それを知って、その通りに行動できる人が、その国にどれくらいいるのか。それが、まさに各国の”民度”です。
日本が感染爆発を免れ得る道があるとすれば、1人1人が高い”民度”、モラルで行動できるかどうかにかかっている気がします。
政府は緊急事態宣言を準備しましたが、強制的にそれによって行動を制限されるより前に、私たち自身が全体のためを思い、自ら先んじて緊急事態宣言に対応したような行動が取れるかどうか。
日本人らしさ、日本人の民度は、今回、どのように現れるでしょうか。
それに関連して、ここでちょっと、、どうなの? という話をしたいと思います。
咳や鼻水でグズグズしているのに、人混みの中を出歩いている人はいませんか? せきエチケットを守らず、せきをして周りに飛び散らせている人はいませんか?
これが、、案外、高齢者に多いんですよね~。そのように配慮のない人。。もちろん全部の高齢者ではなく、立派な高齢者もおおぜいいらっしゃいますし、そもそも、日本は何処へ行っても高齢者だらけなので、そういう人が目立つということなのかもしれませんが。
実は、うちの息子、、若者世代の代表ですが、そして、ものすごく心のやさしい子なんですが、不正義には厳しいです。ハッとするくらい。
その彼や彼の周囲の若者たちはね~、実は、巷の高齢者が嫌いなんですよ。「いばってるんだよ」と。「「自分たちは老人で優遇されて当然なんだ、おまえ等どけ、譲れ、邪魔だ」って、すごく高圧的なんだよね」と。
先日も、こんなことがあったそうです。
ドラッグストアで、やっと入荷したトイレットペーパーを買おうとした息子の目の前で、1人の高齢者(女性)が棚にあった全部を指さして、「これ、全部私が買うんだからね」と言って威嚇し、息子には1つも譲ってくれなかったそうです。(それを許すお店もどうかと思いますけどね。)
息子はおばあちゃん大好きなおばあちゃん子ですが、「街で見る老人って嫌いだよ、威張ってるからさあ」と、息子は私には正直に告白します。そのような不愉快な体験は、日常茶飯事なのだとか。
若者に優しくない高齢者。社会を我が物顔で占有する高齢者。過去にどれほどの貢献があったにせよ、だから当然なんだと権利ばかり主張する高齢者、、息子は直感鋭いエンパスなので、年齢にかかわらず出会う人の心はすぐに見抜いてしまいます。
と、こんな感じの話も、私の耳に入ってくるわけです。私の年代が見る高齢者と、息子たちから見る高齢者と、かなり印象が違うんですね。
”民度”、モラル、、日本が感染爆発を免れ得る道があるとしたら、”民度”をどれだけ高く保てるか、発揮できるか、それにかかっていると、私には思えてなりません。