何から書こうか、迷っています。
祝祭セッション、アシュタール通信、クライアントさん経由で来る上からの連絡、、そして、私の日常での体験。
共鳴して、絡み合って、シンクロして、、大きな大きなメッセージが届いてます。宇宙から。
整理してまとめて書くには、きちんとした頭の準備がいる。
今日はそれができないので、とりあえずシンプルなできごとから書くかな。
今夜は、オットーと花巻温泉街の台温泉に来ています。源泉掛け流しのお湯と囲炉裏焼きで、ゆっくりのんびり。
普段、がんばって忙しく働いている二人が大事にしている時間です。私は今、少しお酒が入っているものの、浴衣を着て、キーを叩いています。
今日はね、、泣いたんです。「ふくちゃん」に再会したから。
「ふくちゃん」。。
私のブログの長い読者の方はご存じですね。私が飼っていたオッドアイの白猫です。昨年の夏に、家族の旅行中に、留守宅で一人、尿毒症で亡くなってしまいました。
そのふくちゃんに、今日出会ったのです。
花巻、宮沢賢治のイーハトーボの林風舎で。宮沢賢治の家族が営んでいる喫茶店です。
そこではちょっとしたステキな小物を売っているのですが、その中に、ふくちゃんがいたのです。
今日の再会には、伏線がありました。
2,3日前の朝のNHKBS、”世界ネコ歩き”で、ブルーアイの真っ白なネコを見ました。目が両方ともブルーという点を除けば、ふくちゃんにそっくりで、思わず釘付けになってしまいました。
そのときから、ふくちゃんのことが思い出されて、たまらなくなりました。。今から思えば、浄化/手放しの1つだったんですね。。
強い痛みが蘇ってきました。罪悪感です。
ふくちゃんを一人で死なせてしまったことへの罪悪感。生きている間も、彼は幸せではなかったかもしれないと思うつらさ。
自宅のリビングでセッションを行う私は、セッションを邪魔するふくちゃんには厳しい対応をしていました。セッション中は、ケージに入れていました。
自由に歩き回るのが好きなのに。。ひどいことをしていた。
彼の自由を奪っていることに気づいていたけど、他に術がなかった。
彼の亡くなり方にしても、亡くなる前、旅行(長野への帰省です)に出る前に、彼の様子がおかしかったこと、おしっこが出ない兆候が現れつつあったことに、何故気づかなかったのだろう。帰宅してから、彼のトイレを見て、そのことがわかりました。
彼は、尿毒症の持病を持っていたのです。そのため、餌も含め、彼の様子にはいつも注意していたのに、そのときは何故か気づかなかった。旅行前で、気が急いていました。
まだ若猫だった彼を死なせてしまったことは完全に私の落ち度であり、私は自分を激しく責めて、当時、泣きに泣きました。
でももちろん、頭ではわかっていましたよ。彼が、”自分でこの時期と決めていて”、旅立ったことは。単に、故郷へ帰ったにすぎないことは。
彼のミッションは、311後の辛い時期に私を支えること。そのために来てくれていたことも、わかっていました。だから、そのお役目が終わったので、大好きな故郷に帰っただけなのだということも。彼は今、故郷で幸せなのだということも。
それでもやはり、気持ちはいうことを聞きません。「あのとき、私が○○していたら~~」という後悔が、ずっとずっと消えなかったんです。
ですから、、TVで彼にそっくりな白猫を見てからというもの、蘇った罪悪感で、ここ2,3日、とてもつらい思いをしていました。
だから、、なんですね! ふくちゃんが、私に会いに来てくれたのは。今日、私の目の前に現れてくれたのは。
林風舎にふと立ち寄ったのは偶然ではない。それはシンクロです。癒やしのための天の配慮です。
白猫のブローチはあってもおかしくはないけれど、それがオッドアイだなんて、、ミラクルです! これは、ふくちゃんそのものです!
見た瞬間、叫び声をあげました。オットーと二人、心臓が止まりそうになりました。
私の罪悪感を知っていて、ふくちゃんが、赦しのために私の前に現れてくれたのです。
「もう、自分を責めないで。僕は幸せだから。あなたのせいじゃない。僕は自分で決めて旅立ったんだよ」と。
そのことを、伝えに来てくれたのです。
私には、それがわかりました。
だから、泣いたのです。ふくちゃんの愛が伝わって。うれしくて。ありがたくて。ふくちゃんが愛しくて。
もう一度、彼の美しい白い毛に触りたくて。
もう一度、彼のすばらしいブルーとイエローの瞳をのぞきこみたくて。
でももう、私は泣きません。
私が泣くことを、ふくちゃんは望んでいないから。
このブローチとペンダント、君の思い出、一生、大切にするよ。
ふくちゃん、ありがとう。
いつまでも愛しているよ。
でももう、私は大丈夫。
もう、泣かないから。。。
ありがとう。。。(T.T)(T.T)(T.T)(T.T)