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姿なき子供の(じっちゃんの)いたずら描き?

以前、じっちゃんが起こしたミラクル(小さないたずら?(^^ ))をご紹介しました。

そうです、前の晩何もなかったのに、夜の間にお皿の上に具現化した”おっとっとのお星様”の話です。

じっちゃんが、「わしがやったんじゃよ~」「そういうことがこれから増えていくよ~」と。(^^ )

アシュタール通信No.5でも、そのことをアシュタールさんに確認しました。曰く「あの人(じっちゃん)は、そういういたずらが好きだよね~(^^ )」。

そういえば、話は変わりますが、そのおっとっとの記事の中で、花巻温泉に私とオットーが泊まりにいった際に、部屋に突然現れたゴミ箱の話も書いています。

それに関しても、アシュタールさんに解説をお願いしたところ、「二人で、リアリティをジャンプした」のだそうです。この場合は、ゴミ箱が具現化して現れたのではなくて。。

「最初、(私とオットーは)”ゴミ箱がない”というリアリティに存在していたが、その後、”ゴミ箱がある”というリアリティに移動したのです」と。

SFに出てきそうな話ですね。瞬時にするっとポータルを脱けて、違うリアリティに入ってしまった。

いえ、移動した先がほぼ同じ構成のリアリティだったので、タイムラインを微妙に、瞬時に、変えたというべきでしょうか。

なぜそもそも、”ゴミ箱がない”というリアリティがそこに作られていたのか。。

その部屋の準備を担当した旅館の人が、ゴミ箱をどこに置こうか迷った瞬間があって、つまり、ゴミ箱の位置を決めきれない瞬間があって、そのときのその人の意識がそこにそのようなリアリティを形成したらしいんです。

そして、「その人のその意識と(私たち二人の意識が)同調したんです」と。

「そのように、意識・思考はエネルギーなので、(何を思うか・意識するかには)十分に注意して下さいね」と、アシュタールさんは教えてくれました。。

思考、意識で、本当にリアリティを作ってしまうんですね。何処かの場所、空間、物体に、人の思念が残る、くっついているというのは、本当の話なんですね~。ゾワツ。。

さて、今回の記事に戻ります

これはね、、、またまた、じっちゃんのいたずら(だと思う)なんですよ~!

落書きをしたんですよ。紙に。一晩のうちに。

アイキャッチに載せた写真のスマイル・フェイス、、、今朝見たら、突然描いてあったんです。それまで無かったのに。

紙は町内会報です。それを数日前にコミュニティ・ホールのポストから取ってきたのは私で、そのとき、その部分には何も描かれていなかった、空白だったのを知っています。

さらに、一昨日にはオットーと一緒にその紙を見ながら、中身の会について話し合ったんですね。

もちろん、そのときにも何も描かれていなかったんです。オットーも、それを見ています。

ですから、今朝、ダイニングテーブルに放置してあったその紙を見て、私はものすごく驚きました。

「誰なの~! こんないたずら描きをしたのは?」

写真を撮り、大学にいるオットーに見せると、、「知らんよ!」と。「俺、こんな絵、描けないし」と。。

ハハハ、、確かに、オットーは遊び心で漫画が描ける人ではありません。彼が何か描くときには、必ず写実的になっちゃうんです。遊べないというか。漫画なんて描けないというか。私は、彼の絵心を知っている。

次に、登校する前のボンズにも、これを見せて尋ねました。

すると、一瞥して「俺、もっと絵うまいよ」と。まったく無関心。

「ママ、本気で、俺がこんな絵描いて喜ぶとでも思ってんの? あり得ないでしょ」と、私に「そんなこと訊くまでもないでしょ。どうしちゃったの?」という視線。確かに。。。彼はかつて賞を取ったこともあり、もっと上手な絵を描きます。赤ちゃん漫画を描くなんて、彼のプライドが許さない。

どちらにしても、オットーもボンズも、私がスピリチュアルに関して騒ぐことが嫌いなので、超常現象ぽく見せる出来事なんて起こすはずがない。むしろ、その逆です。そんなことが起きたら、積極的に否定したい側なんです。

だから、こんないたずらをして、私を喜ばせるはずがない。自分が描いたのなら、「描いた」と言うに決まっている。

このスマイル・フェイス、、、どう見ても、赤ちゃん~幼児の落書きですよね~。そして、ペン跡が無いんです。ボールペンや万年筆、マジック、鉛筆等、何かで紙をこすった形跡がまったくない。まるでコピーのようです。

先日発行のアシュタール通信No.8 の中で、”大吟醸の瓶に、幼児の手書きのような「だいぎんじょう」というラベル”を貼ってくれた方がいらっしゃいましたよね。アハハ。(^^ )

この絵も、その人ではないかなあと疑っております。。(^^ )

楽しい! ありがとう!

 

narudeko: