(飯盛山から鶴ヶ城を望む。この山に籠もっていた白虎隊は、城の周囲に火の手が見えたことで「城は落ちた」と誤認し、自刃しました。)
4/19追加: 一番下に、記事を書き足しています。
少し前、2019-3-17のことです。
バディと会津若松に行きました。幕末の藩主松平容保は元々、信濃高遠藩から行った保科正之の子孫なので、信州・伊那(今は高遠も含みます)出身のバディは非常に会津に親近感を持っているのです。
そのため、彼は以前から「行きたい、行ってお参りせにゃいかん」と言っていて、この日、誘われるままに私も同行しました。私は遠い昔、学生時代に訪れたことがあります。
鶴ヶ城そして飯盛山に行きました。白虎隊が自刃した場所です。そこで16~17歳の男子たちが鶴ヶ城陥落を誤認して命を絶ちました。有名な話ですね。
ここにどうしてもお参りしたかった。なぜか私は無性にここが気になったのです。
行ってみたら、なんと飯盛山を守っているのは厳島神社で、御祭神は市杵島姫命ではありませぬか。知らなかった。(..;)(注:市杵島姫命は私のオーバーソウルグループのお一人で、私の写真に写ったプラズマ体の方です。)
私はこの日、16~17歳で戦いに志願し、結果、自ら潔く命を絶っていった少年たちへの思いがあふれて仕方なかったのですが、今から思えば、すでにこのとき私は、17歳で家を出て自立していく息子の運命がわかっていたような気がします。
(3/17のタイミングでは、まだ彼は「家を出たい」とは言っていなかったのですが。メールをたどると、私たちが会津若松を訪れた直後から、彼の「家を出たい」という話が始まっています。不思議です。区切りを付けたのでしょうか。
また、ここには載せませんが、先週行った祝祭セッションに、AAマイケル(大天使ミカエル)がダイレクトに出てきてくれて、クライアントさんの退行を利用して、私に、私と息子、アシュタールさんの3人に関する重大な事実を教えてくれました。その中でも、”17歳”というのが、息子にとって非常に重要な鍵だったのです。それも含めて、すべてがシンクロしている気がします。)
この日は鶴ヶ城と飯盛山で太い光の柱を立てたのですが、何故だか、白虎隊と息子が重なるんですよね~。もしかして彼の過去世? 市杵島姫命がここを守っているということにも深い因縁を感じます。
すべてにおいて偶然はないので、このときに夫婦で飯盛山にお参りしたことも、17歳での息子の自立に関連して、魂で計画していた出来事のような気がします。
今はもう、日常の出来事すべてに意味があり、深いです。
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4/19追加:
ああ、今また思い出しました。
実は、どっきりする出来事があったことを、このとき。(すっかり忘れてました。(..;))
この3/17、会津若松に行った日のことです。
バディと私は旅館の宿泊券があったので、その夜、猪苗代に一泊したのです。家に息子を置いて。彼は誘ってもこなかったので。
しかし、17日の夜から18日の朝にかけて、猪苗代から連絡しても、息子がまったく応答しなくなったのです。自宅にいるはずなのに、彼の携帯はオフになっているし、家の電話にも出ない。思い返せば、実はこの頃、息子は一番どん底で、行き場を失い、最も暗く黒く?なっている時期でした。
そんな状態の彼と連絡が取れなくなってしまった。
18日の朝、バディと私はものすごく不安になりました。息子はPTSDを持っているので、まさかとは思いつつも、何かあったらどうしよう!という不安が津波のように押し寄せてきて。
そこで、その日の予定をキャンセルして、私たちは猪苗代から大急ぎで仙台へ戻ることにしました。しかし、車で高速を飛ばしてもどうしても2時間近くかかります。その間、私たちは、状況がわからないまま、恐ろしい不安と戦わなければならない。
ついに耐えきれなくなり、ALSOKに連絡しました。わが家はALSOKに契約しているので、家を訪ねてもらうよう、インターフォンを押して誰も出なければ、鍵を開けて踏み込んで中を調べてくれるよう、お願いしたのです。
その手配をしてから、猪苗代の宿を出発しました。
すると、30分くらいして、まず息子から電話がかかってきました。「寝ていたら、ALSOKが来たからびっくりしたよ~」と。
ホッ~~~~~! バディと私はもう泣き笑いです。
「何してたの?」と聞くと、「ただ、疲れてたからずっと寝てた。携帯、充電器につなぐの忘れたのでいつのまにか切れてた。家の電話は、セールスがかかってきて面倒くさいから出なかった」というではありませんか。
ああ~、本当に安心した。(T.T)(T.T) 私たちは地獄から天国へ戻ったような気分でした。
今から思えば笑い話なんですけどね。(..;) でも、このとき、私たち親は本当にいわば”山場”を越えた気分だったのです。大きな分岐点がここにはあったんだと。
そして、この件も深く影響していたのだと思います。これも、今から思えばなんですが。その後、私たちが真摯に、息子の要求を彼の立場で聞くようになったのは。
その後、息子がいろいろびっくりするような要望を出すようになったとき、バディは私にこっそりつぶやきました。
「あのときは、喪ったかも、と思ったよね。だから、蘇ってくれたことに感謝したいような気持ちなんだ」と。
そして、今でも時々、ふとバディは言うのです。
「あのとき、もしかしたら(別のタイムラインで)喪ってしまったかもしれないことを思えば、これから先、彼のどんな希望だって叶えてあげようと思うよ」と。
そう、、子どもが元気に生きていて明るい笑顔を見せてくれるほど、私たち親にとって嬉しいことはない。それに代えられるものは何一つないのです。
それを知る大きな学びでした。
だから、息子のどんな望みも応援しようと、、私たちは覚悟を決めたのです。
古い信念体系をなかなか手放せないでいるバディと私に与えられた、何という深いレッスンだったでしょうか。私がこれまでに経験した中でも、最大級の揺さぶりだったと言っていいかもしれません。
そう、、
こんなことがあったのですよ。。その頃。
ただ、、すごく大きな揺さぶりだったのに、、
今はもう遠い昔の出来事という感じになっちゃった。今は親子3人とてもハッピーなので、忘れかけてた。ハハハ。お気楽な私たち。
というわけで、
この件も含め、17歳という年齢は、息子の魂が大きな区切りとして決めてきたタイミングだったと思うのです。
息子にとって、17歳は一度死んで新たに生き直す、これまでの過去世や暗かった今世の分も含めて、新しく、力強く、希望に満ちて、別の人生を歩き出す区切りだったような気がします。
ここを乗り越えられて、本当に良かった。
じっちゃん、アシュター、マイケル、ルシフェル、その他たくさんのチームたち、私たちに気付かせてくれて、サポートしてくれて、本当にありがとうございます!
(それにしても、上の采配ってすごいなあ。やるときはやるな。ぶるっ。皆さんも御覚悟を。(^^ )(T.T)
揺さぶりが来たら、”愛”で乗り越えましょう!
”愛”でなら、乗り越えられます!