昨夜は、いろいろと悩みながら、啓示を求めて眠りにつきました。
現在の状況は、自分でもわかっています。私自身が中で変容を起こしているのです。次の段階へ進むことを求めています。それははっきりわかっています。
アシュターが「貴女は自分の中の幻想構造体をも壊しているんだよ」と教えてくれたのですが、私が造っていた幻想構造体って何なのでしょう? たぶん、本当の私がどんな存在であるか、それを見ないようにしてきた殻のような気がします。
その殻が背中の方から破れていく感覚があって、そのことでも、身体や心が痛んでいるんですね。
「あ、そうか、さなぎから蝶が出てくるときと同じだよね」と気が付きました。羽化というやつですね。
2019-12-3の祝祭セッションでも、アシュターは私に、「今は混沌とした暗闇にいるけれど、やがて卵がパカッと割れて、花吹雪が散り、明るい世界に出て行くときが来る」と教えてくれました。
私は今、そういう状態にいるようです。どれくらいかかるのかしら。(T.T)
昨夜の祈りの後、夢を見ました。
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2019-12-5
新幹線に乗っています。
私のいる車両に、どやどやと団体が入ってきました。何だか傍若無人なんです。仲間内で大声で騒いでうるさい。
私は別の車両に移りました。
とある駅で、列車は途中停車しました。
北陸新幹線なのかな、例の集団がまた騒いでいます。全員で、「釜飯食べよう! 食事しよう!」と言ってふたたび、どやどやと車両を降りていきます。彼らは駅の食堂で宴会をするらしいのです。でも、列車を降りるつもりはなくて、列車が停まっている間に食事をするんですって。え? あの短い停車時間中に?(゚Д゚)
降りていく1人の女性と目が合いました。知っている人です。かつて旅行で一緒だったことがある。
その人が私を侮蔑の目で見ます。「ふふん」と。(..;)
彼女が言っている意味が伝わります。「貴女はぼっちなのよね」と。。
つまり、その女性は自分たちの数を頼んでいるのです。集団なので強いと思っているのです。「こっちはおおぜいいるのよ、仲間に入れなくて可哀想ね」とか、「貴女は違うから入れてあげないわ」とか・・・。軽蔑の視線から、そんなニュアンスが伝わってきました。
集団は全員、下車していきました。
私は荷物を元の車両に置きっぱなしだったので、心配になって見に行きました。
すると! 半分くらいの人が残っているではありませんか、その車内に! 例の団体とは関係のない人たち、元々居た人たちが車両の半分くらいを占めていたのです! (^^ )
元の席に行くと、おやまあ、、ひどいありさまです。その辺りで飲み食いしたのでしょう。食べかすが散らばり、液体がこぼれて水たまりを作っています。椅子まで、何だかボロボロになっている。
嘆息していると、近くに座っていた男性が私に言いました。「ひどいもんですよねえ・・・」と苦笑い。あ、、わかってくれる人もいるんだ。(これ、誰?(*^^*))
そのうちに私は気になり始めました。
新幹線ですから、停車時間はすごく短いんです。駅に降りて宴会してからまた戻るなんて、そんな時間、あるはずもない。ハハハ (>_< )
今にも、列車は発車するでしょう。
彼らは時間までには戻ってこられないでしょう。
いえ、でも、大丈夫なんですよ、目的地にはいつか行けるんです。(^^ )
駅で待っていれば、やがて次の新幹線が来ますから、、いつになるかわからないけどね。
でも、いつか必ずやってきます。それに、ホームを移れば在来線もあるしね。ゆっくりだけど鈍行だってあります。好きなように選べます。(^^ )
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と、こんな夢でした。ハハハ、何とシンボリック、そして何と”あからさま”! ぴったりじゃないですか。今の状況に。
これを教えてくれたの誰? アシュター? アテナさん? Big 4? 上から見ている全体像を伝えてくれたのでしょう。
まあ、幻想の「金星から来た愛と光の大使」、真実のアシュタールのディスクロージャーの混乱が続いている現状で、魂レベルではこんな状況なのだと思います。
人によっては、超特急で進んできたつもりなのでしょうけど、油断があるんですね。
今、自分はどういう行動を取るべきなのか自分の頭で考えずに、数だけを頼りに、集団にいれば安心とばかりにぞろぞろとまとまって行動し、降りなくてもいいところで列車を降りてしまう。
目先の欲望にとらわれて車内で宴会をし、それでもまだ足りなくて、列車を降りてまで宴会を続ける。
あ~、そっちを選びますか。
とはいえ、半分くらいの人はきちんと静かに自分の席に座り、それぞれ本を読んだり黙想したりしながら、新幹線に乗り続けていくのです。
何とまあ、象徴的なのでしょう。。びっくり。。
そして、私はその両方のグループを見ています。気にかけています。両方のグループとは、シンボルとして、幻想の「金星から来た愛と光の大使」、偽りのアシュタール像を信じ続けていく人たちと、それが虚構、幻想構造体であることを見抜いて決別する人たちを意味しています。
しかし、私は列車を降りません。以前なら、そちらの彼らが目覚めるまで付き添うべく、共に降りようと思ったかもしれないけれど。
今はもう、私は列車を降りません。「彼ら、間に合うといいな」と思って車両の乗降口からホームを見てはいますが、発車時刻が来たら、私も自分の席に戻ります。
そう決めたんです。
あなたはどっちですか?
宴会を求めて、新幹線を降りる方?
それとも、静かに席で過ごしつつ、乗り続けていく方?
偽りのアシュタール信仰から脱け出すか、脱け出さないか。
自分に問うてみて下さい。(^^ )
(この後のビジョンも重要でした。)