ちいちゃんがくれたレッスン、”揺さぶり”の体験レッスン、その3です。最終章です。
他人に起こった出来事を客観的に見て、アドバイスするのは簡単ですね。(^_^)
しかし、実際に自分の身に起こった時には、一時とはいえ、あっという間に感情の波にのみ込まれてしまいます。それが、肉体を持つ身の自然です。
今回のちいちゃんのレッスンは、まさに”揺さぶり”体験の例を見せて、私がそれをどのように受け止め、どのように乗り越えていくのか、貴女なりのステップを伝えなさい、と、Big 4 に言われたようなものでした。
今回、何が起こったのか、総括してみましょう。
1.1つの”出来事”がやってきました。その時点では、私はただそれを受け止め、”今、ここ”に居ようと決めています。
2.結果に対する期待が生まれます。執着の始まりです。
3.期待が裏切られます。苦しみの始まりです。
4.自分の中に入り、自分がどうしてそのようになったのか、その原因と道筋を探っていきました。そこには、学びがありました。今後に生かすための学びです。
そして、今日はこの段階ですね。
5.起こった出来事、自分の味わった感情、自分の体験そのものを、いっさいジャッジせずに手放します。
6.「体験のみがこの3次元幻想世界の中の唯一のリアルであり、そして、”肉体で体験する”こと、それに伴う”感情を味わう”ことこそが、肉体を持って生きる意味、喜びである」ということを思い出します。
これが、私なりに考える、3次元での体験を乗りこなしていく”サーフィン”の技です。(^_^)
何らかの出来事に付随して体験する苦しみは、ほぼ100%、自分の期待が裏切られることから始まります。
じっちゃんに委ね切ることができず、じっちゃんが導いた流れに激しく抵抗することから始まります。
”抵抗”が苦しみを生み出すのです。
そして、そこに感情の波がやってきます。”揺さぶられ”ます。泣いたり、怒ったり、自分を責めたりね。
しかし、そこにいつまでも留まっている必要はありません。(そうしたければ別ですが。)
そこから、なるべく早く自分の心がたどってきた道筋を振り返ってみる、それが大切です。
そもそも自分は何を期待していたのか。そこに、自分の思い込みや信念体系はなかったのかどうか。自分が心にかけていたフィルターを見つけ出します。
フィルターと、それによって歪まされた自分の心の軌跡がわかったら、1つ”学んだ”ということになります。そうすれば、次に同じような状況に陥っても同じ深さまでは落ちない。あるいは、落ちても、もっと早く上がってこれるようになります。
と、
ここまでのところ、その作業を済ませるまでは、多くの人が行っています。
しかし、あと2つ、とっても大切なことが残っているんですね。よく、気が付かずにそのまま先へ行ってしまいがちなところです。
7.起こった結果に関して裁かない。他者を責める気持ちも、自分に対する罪悪感も持たない。
良かった悪かった、正しくできた・できなかった等のラベルを貼ることなく、これはただ1つの体験に過ぎなかった、という”塊”で受け止めることが大切です。さらに可能ならば、「その”塊”を今回味わえたことは喜びである、幸せである」と思う。(そこまで思えるなら、達人の域です。ハハハ)
8.その体験の塊を手放す。「学ばせてくれて(+楽しませてくれて)ありがとう」と、感謝をこめて。
手放せる人は、その塊をじっちゃんの光源に送り返せば良いし、なかなか手放せない人は、自分の棚に紫の炎に包んだ状態で置いておけば良い。いつのまにか光へと変容していきますから。
ということで、、
積極的に世界とかかわろうとする限り、体験は次から次へとやってきます。感情の波もやってきます。それが自然です。
しかし、そのたびにこの全体のステップをきちんと通過するならば、ぐるぐると螺旋を回りつつも、私たちは波動を高めていくことができます。自分自身の波動が高まれば、次に巡ってくる体験は、たとえ内容は似ていたとしても、少しずつ違ったタイムラインをたどるようになります。
さあ、、
書くべきことは書き終わったかしら。(何だか、昨夜からアシュタールさんに「もう少し思考を深めて続けなさい」と、つっつかれていたような気がしますが。(..;))
これを最後に、私は、”ちいちゃん”のレッスンを手放して先へ進みます。(忙しいもの。(..;))
ちいちゃん、本当にありがとう!
一晩でも、私にあなたを抱かせてくれてありがとう!
あなたの小さな身体の温もりがとても愛しかった。
今は、じっちゃんのそばで、天使さんたちから美味しいご飯をもらっていますか? (涙ぽろ)