普通の、ゆる~い出来事を書きたいのですが、普通でないことばかり起きる今日この頃です。(^^ )
具現化が、実にリアルで速いんですよ。この週末も、2つばかり、おお!ということが起きました。
1つは、とあるセミナーで。話が少し長くなります。
週末、あるスピ系のセミナーに出ていたのですが、2日目に偶然、隣り合って座った人がいました。男性で、ライトワ―カーです。
心身医学の現場で働きながら、そこで働く人たち自身の心のケアを気にかけていました。心身医学の現場で働く人たちも少なからず、セクショナリズムで傷ついたり、働き過ぎで疲れたり、理想と現実のギャップに悩んでいるんですね。
繊細で思いやりのある人たちほど苦しんでしまう。そういう人たちがつぶれないよう、お互いにサポートし合うネットワークを作り上げたい、そのために動こうとしている人でした。
そしてですね、、なんとなんと、、その人の話を聞いているうちに、その人が、私の(ブログの)大ファンだということがわかってしまったのです。その人にとって、私は「カミサマ」みたいな存在らしいことが、、アハハ、、わかっちゃったの。(^^ )
こういうスピ系のセミナー等に行くと、私は極力、私を知っている人には出会わないように用心します。とにかく人前が苦手。だから、自己紹介の時も、自分のブログやセッションについてはほとんど語りません。まあ、退行催眠のプラクティショナーをやっています、くらいは話すのですが。
今回は、そこから線がつながってしまった。「最初見たときから、顔が似ていると思ったんです」とも、言われてしまいました。顔は隠せないからね~。(^^ )
そこからは必然的に、話は新たな展開を見せました。私はあらためて、とても興味を持って、その方の活動内容を詳しく聞くことになりました。
何故なら、その方の活動を手伝ってあげたいと思ったから。私にできることを、何かしてあげたいと思ったから。
そして最終的に、その人から、活動内容の情報を送ってもらって、どんなお手伝いができるかを検討させてもらう、という流れになりました。
とまあ、そういうことがあったんですね。今回のセミナーでね。
そのセミナーが終わり、夜、いろいろと振り返りながら帰宅したのですが、、その時点になって、「あ!」と気がついて足が止まりそうになりました。
私が先日書いた記事、「尊敬を送りなさい」を覚えていますか?
実は、私がその日、仲良くいろんな話をして「お手伝いする」と約束した人は、まさに、あの記事に出てきた男性と同じ特徴を持つ人だったのです。
その符合に気づいたとき、私は、「具現化が起きた」ことに気が付きました! じっちゃんの采配に息を呑んでしまいました。
あの記事の中で、私は、
じっちゃんを呼びました。じっちゃんに、「どうしたらいい? 何をしてあげられる?」と尋ねました。
そうしたらね、、
じっちゃんの答えは、、
「尊敬を送りなさい」
だったのです。
”尊敬” です。ガーン!
「つらい学びを選んだ勇敢な魂に、尊敬を送りなさい」、という意味だったのです。
ハッとしました。胸にズシンと響きました。
そうか、、こういう人たちには、”同情”ではなく、”尊敬”を送るべきなんですね。”応援”と共に。
すべてを予期した上でその人生を選んできている、勇気ある魂なのです。
私は何だか、泣いていた自分が恥ずかしくなりました。涙ではなく、その人には、温かい視線と素直なスマイルを送るべきだったのです。”同情”は筋違いです。
私が、自分で具現化したのかもしれない。
いや、それよりも、じっちゃんが私に、”実践”する機会をくれたように思えます。「何かをしてあげられるとしたら、尊敬と応援」、そう思うのなら、やってみなさいと。
そのことに気づいて、私はじっちゃんの愛に、そんな風にして私に教えを学ばせようとしてくれたことに、泣きたくなるほどの感動を覚えました。
学びの機会を与えてくれてありがとう。”実践”の機会を与えてくれてありがとう。
少し前、瞑想の中で、じっちゃんが私にこのように言ってくれたことがありました。私がオーバーソウルに帰還した直後のことです。
「今後、あなたが愛をもってすることは、必ずうまく行く」と。
”愛をもって”。
すなわち、”純粋な愛の意図によって”願うことは、容易に具現化すると。
私は、電車の中で、病のために心を閉ざしてしまった人を見たときに、「何かしてあげたい」と切実に思いました。それに対して、じっちゃんは「尊敬を送りなさい」とおっしゃいました。だから、私は「尊敬を送りたい。応援したい。温かい視線と素直なスマイルを送りたい」と思いました。
その私の願いが、純粋だったのでしょうか。だから、実現するチャンスが与えられたのでしょうか。
「愛をもってすることは、必ずうまく行く」「愛をもって願うことは、必ずかなう」
そういう次元に来たのだなあと、しみじみ感動した夜でした。